-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- 東京発フォークロックバンドYour Last Chicken公式ブログ -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
2012年12月9日日曜日
ハレ
昨日はライブでした。
観に来てくれた皆さんありがとう。
呼んでくれた近藤さんありがとう。
なんだか久しぶりにライブをやった気がします。
この間職場の先輩と話をしてて思ったんですが、良いイベントに出たり、良いライブを観るとやっぱり良い刺激を受けます。もっと良い音楽を作ろうと思えます。要は切磋琢磨。
ライブは、たまにやる「ハレ」だから特別で意味があるとも考えてみたりすることもありますが、昨日は改めて否と感じました。
むしろ可能な限りそういう場に身を置くべきなんだと思いました。
メリハリは大事だと思います。
宇多田ヒカルじゃないですが、フツウな日常もあって然るべきです。
でも月に一回くらいの「ハレ」だと、普段の生活との落差に困惑するばかりです。
集中したくても、突然集中できるわけもないです。
もっと動こう。
自分で動こう。
刺激がある場を作るしかない。
そう改めて感じた昨日のイベントでした。
2012年11月19日月曜日
おすすめの献立
ケイスケです。
お気に入りの卵とトマトの中華炒めのレシピです。ささっとできるので帰りが遅い方にもおすすめです。白いご飯によく合います。
<材料>
卵 2, 3個
トマト 2個
玉ねぎ 半分
塩
オイスターソース
料理酒
ゴマ油
<作り方>
① トマトと玉ねぎは食べやすい大きさに切っておく。卵は泡立てずに溶き、塩を一つまみ加える。
② フライパンに大目の油をしいて、強火で卵をフワッと半熟状態に。別皿にうつす。
③ 同じフライパンで玉ねぎとトマトを中火で炒める。トマトの皮がむけてきたら、オイスターソースと料理酒を適当に加えて更に少し火をとおす。
④ 卵をフライパンに戻し、トマトと玉ねぎとささっと混ぜる。最後にゴマ油で香りつけて出来上がり。
ぜひお試しあれ。
お気に入りの卵とトマトの中華炒めのレシピです。ささっとできるので帰りが遅い方にもおすすめです。白いご飯によく合います。
<材料>
卵 2, 3個
トマト 2個
玉ねぎ 半分
塩
オイスターソース
料理酒
ゴマ油
<作り方>
① トマトと玉ねぎは食べやすい大きさに切っておく。卵は泡立てずに溶き、塩を一つまみ加える。
② フライパンに大目の油をしいて、強火で卵をフワッと半熟状態に。別皿にうつす。
③ 同じフライパンで玉ねぎとトマトを中火で炒める。トマトの皮がむけてきたら、オイスターソースと料理酒を適当に加えて更に少し火をとおす。
④ 卵をフライパンに戻し、トマトと玉ねぎとささっと混ぜる。最後にゴマ油で香りつけて出来上がり。
ぜひお試しあれ。
2012年10月13日土曜日
2012年8月19日日曜日
物語性
最後の投稿が6月とは反省すべきな今日この頃です。
今日、サマソニのライブ特番でGreen Dayのインタビューを見ました。 別にファンではないのですが、9月に3部作の第1作を出すそうな。 それを聞いて、ふと思ったのですが・・・ やっぱり作品には物語性が必要ですね。 要は、テーマが必要だということです。 それも、理想的には、曲単位はもちろんのこと、アルバムならアルバムを通してです。 というよりも僕自身がそういう作品作りをしているからです。 しかし、仕事で忙しい昨今、思考力が低下し、集中力が持続しません。 そうなると、作品も、アルバムを通してどころか、曲単位で内容が断片化していきます。 複数の曲で見ていくと、もう、どこぞの偉い学者先生が仰った「蛸壺」状態です。 これはまったくもってよろしくない。
僕にとって、物語性があるということは、それは作品に己の歩みと密接な関係があるということです。 平行しているというといいすぎですが、特定の時期に作った曲には、そのときの心情が色濃く反映されています。 曲を書いている時点でははっきりと自覚できてませんが、後から歌詞を読むと如実です。 そして、一時期の作品群から次の作品群に移るとき、真情の変化、あるいはその過程があります。 僕は「成長」というものにやや懐疑的ですが、「変化」は必ずあります。
物語を作り上げる人もいます、まったく物語がない人もいるそうです。 僕は、特定の形で表現を続けるためには、型を壊して新しい型を生むうえでも、物語性が不可欠だと思います。 それがなければ、それは単なる空の容器に何かを無作為に入れているだけに過ぎません。 そういう偶発的な創作も良いのかもしれません。 しかし、「成長」をやや否定した矢先ですが、いわば、ワインみたいな作品作りをしたいと考えます。
いささかまじめ過ぎたないようですが、こういうまとまった文章を書くことも、自分の歩みに一本の線を描くためには大事なのでしょう。
ところで、来月、再来月にライブが二つあります。
9月19日(水)@八丁堀 七針 オーストラリアから来日するGrand Salvoという素敵なアーティストの前座をやります。 巷で有名な麓健一さんとも競演します。 とても楽しみなライブです。 19:30開場、20:00開演、料金は2000円です。 恐らく売り切れになると思うので、予約はお早めに。
10月20日(土)@八丁堀 七針 以前イベントに読んでくれた不自分の泥流さんにまた呼んでもらいました。 ホンマモンのオルタナがかっこいい不自分です。 泥流さんの誕生日イベントということで是非プレゼントを・・・
今日、サマソニのライブ特番でGreen Dayのインタビューを見ました。 別にファンではないのですが、9月に3部作の第1作を出すそうな。 それを聞いて、ふと思ったのですが・・・ やっぱり作品には物語性が必要ですね。 要は、テーマが必要だということです。 それも、理想的には、曲単位はもちろんのこと、アルバムならアルバムを通してです。 というよりも僕自身がそういう作品作りをしているからです。 しかし、仕事で忙しい昨今、思考力が低下し、集中力が持続しません。 そうなると、作品も、アルバムを通してどころか、曲単位で内容が断片化していきます。 複数の曲で見ていくと、もう、どこぞの偉い学者先生が仰った「蛸壺」状態です。 これはまったくもってよろしくない。
僕にとって、物語性があるということは、それは作品に己の歩みと密接な関係があるということです。 平行しているというといいすぎですが、特定の時期に作った曲には、そのときの心情が色濃く反映されています。 曲を書いている時点でははっきりと自覚できてませんが、後から歌詞を読むと如実です。 そして、一時期の作品群から次の作品群に移るとき、真情の変化、あるいはその過程があります。 僕は「成長」というものにやや懐疑的ですが、「変化」は必ずあります。
物語を作り上げる人もいます、まったく物語がない人もいるそうです。 僕は、特定の形で表現を続けるためには、型を壊して新しい型を生むうえでも、物語性が不可欠だと思います。 それがなければ、それは単なる空の容器に何かを無作為に入れているだけに過ぎません。 そういう偶発的な創作も良いのかもしれません。 しかし、「成長」をやや否定した矢先ですが、いわば、ワインみたいな作品作りをしたいと考えます。
いささかまじめ過ぎたないようですが、こういうまとまった文章を書くことも、自分の歩みに一本の線を描くためには大事なのでしょう。
ところで、来月、再来月にライブが二つあります。
9月19日(水)@八丁堀 七針 オーストラリアから来日するGrand Salvoという素敵なアーティストの前座をやります。 巷で有名な麓健一さんとも競演します。 とても楽しみなライブです。 19:30開場、20:00開演、料金は2000円です。 恐らく売り切れになると思うので、予約はお早めに。
10月20日(土)@八丁堀 七針 以前イベントに読んでくれた不自分の泥流さんにまた呼んでもらいました。 ホンマモンのオルタナがかっこいい不自分です。 泥流さんの誕生日イベントということで是非プレゼントを・・・
2012年6月5日火曜日
踊りの発表会
2012年5月12日土曜日
2012年3月30日金曜日
2012年3月10日土曜日
実況中継
けいすけです。こんばんは。
只今、次のCDのレコーディングをしています。幡ヶ谷にある練習スタジオを使って、自分たちでやっています。本日はドラムの録音なのでユミ氏はいつも以上気合いが入っている様子。メカ担当はマキトで、おまじないのような不可解な動きをしています。私の担当は、じっとして余計な音をたてない人、とマキトに言われました。がんばるぞー。
前回のレコーディングでは音をたてない仕事をあまり上手にこなせなかったので、今回こそは怒られないようにせぬば。いまはスタジオの床に大の字になってこのブログを書いています。順調、順調…。あ、くしゃみが…。
音楽家のはしくれとして、やっぱり新しいものを作り続けることは大事だと思います。やっとレコーディングを始めることができて、説明しがたいですが安堵感があります。新しいものって新曲に限らず、いつもと違う音を出したり、ルーチンから外れた作業をすることが精神の安定に繋がると感じています。
さて、出番を待つとしますか。
2012年1月19日木曜日
過去に立ち返ること
世の中にはざっくり二種類の人間がいると思う。
ひたすら現状を是とし突き進む人間と、どちらかといえばそうでない人間。
前者は強い。
どんな現状でも、それが自分が選択した道であり、本当は間違っていたとして、それを肯定し突き進む。
常に自己を肯定し、正当化し続ける。
過去に立ち返らない。
間違った選択をしたならば、それを正しいものにしてしまえばいい。
後者は、常に現状に否定的あるいは懐疑的だ。
間違った選択をしたと思えば、その選択をした時点に立ち返り、方向転換を試みる。
悪い点を挙げるとすれば、そもそも人生の選択が正しいかなんて死ぬまで分からない可能性が高い点で、いつまでも現状に懐疑的でい続けたり、諦めてしまったり、卑屈になる。
しかし、前者は、頭では自己を肯定できていても、深層で、あるいは体がどこかで悲鳴をあげる可能性があると思う。
明らかに間違った選択をしたり、全然やりたくなかったこと、進みたくなかった道を長々と進み続けると、どこかで心と体の状態が乖離してしまい、無理が生じると思う。
僕は明らかに後者だ。
そうして心の安寧を常に求め続けている。
ソーファッキンワット?
ひたすら現状を是とし突き進む人間と、どちらかといえばそうでない人間。
前者は強い。
どんな現状でも、それが自分が選択した道であり、本当は間違っていたとして、それを肯定し突き進む。
常に自己を肯定し、正当化し続ける。
過去に立ち返らない。
間違った選択をしたならば、それを正しいものにしてしまえばいい。
後者は、常に現状に否定的あるいは懐疑的だ。
間違った選択をしたと思えば、その選択をした時点に立ち返り、方向転換を試みる。
悪い点を挙げるとすれば、そもそも人生の選択が正しいかなんて死ぬまで分からない可能性が高い点で、いつまでも現状に懐疑的でい続けたり、諦めてしまったり、卑屈になる。
しかし、前者は、頭では自己を肯定できていても、深層で、あるいは体がどこかで悲鳴をあげる可能性があると思う。
明らかに間違った選択をしたり、全然やりたくなかったこと、進みたくなかった道を長々と進み続けると、どこかで心と体の状態が乖離してしまい、無理が生じると思う。
僕は明らかに後者だ。
そうして心の安寧を常に求め続けている。
ソーファッキンワット?
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